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プロフィール

スミトン キルター
好き:創作行為
嫌い:お片付け

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報国寺から鶴が丘八幡宮へ

墓地を後に、お抹茶が美味しい報国寺に…と行きましたが、16時で山門が閉まる寸前15分前に着いたので、お抹茶はいただけませんでした…ゆう★

でも、報国寺は竹林でも有名らしく、お手入れがされ、苔もきれいでしたキラキラ

 

竹林3

 

富山ではもっと大きな竹林を見ているけれど、タケノコのイメージが強く感激しませんが、鎌倉と言う場所がそうさせるのか、報国寺の綺麗な竹林に感動しましたラブ

 

何だこの落差は???顔

 

竹林1

 

1334年に創建された臨済宗・建長寺派の禅宗寺院と言うのが、タケノコ竹林とは違う神々しさを漂わせているんだよね苦笑

 

特に休耕庵と言う塔頭(たっちゅう)の跡に孟宗竹が生えて竹林になったと聞けば、なおの事です。

 

もの覚えの悪い坊さんが亡くなった跡から茗荷が出来たと言う話と似てるけど、塔頭の跡だとなんだか有りがみが違うよね

 

茗荷も筍もスミトン大好きだけどねペコちゃん

 

 

報国寺のあと鶴岡八幡宮に参拝しました。

 

手水舎で手と口を清め終わった所に若い男女がきて「手洗うって?」と両手をもむようにしているからさぁ〜

放置してその場を離れたら、きっとこの二人は、水道の蛇口で手を洗うようにするんではないか?と心配になったのよ苦笑

 

スミトン、作法をこうしてああしてと教えてあげたよ〜

本当に大きなお世話かも知れないけれど、二人は日本人だよ!

今まで神社に親と来て教えてもらわなかったんだろうかね?しょぼん

 

でも「こんなふうに手と口を清めるのね〜初めてです〜ありがとう」と言ってくれたから良しとするかテゴシマーク

 

鶴岡八幡宮の倒れた銀杏木の写真を撮ったりしながら階段上がり本殿に着いたら、先に着いてた仲間が驚いていたよ

 

鶴岡八幡宮の銀銀杏

 

「スミトンきたの?」って…

「下で待ってると思ったよ〜。えぇ〜! 登ってこれたんだ〜」だってさぁ〜苦笑

 

皆、スミトンが喘息持ちで、膝が悪いのを知っているからお驚いたのよ〜

口々に「元気になったね」と喜んでくれたのよねゆう★

 

たぶん皆の中では、Kさんより先にスミトンがくたばると思ってたと思うよ顔

3・11の時なんか、呼吸困難・歩行困難だったの知ってるからね〜

 

残念でした!

まだまだくたばらないからね〜

100歳目指すんだから〜

憎まれっ子世に何とかです〜! ワハハハァ〜-▽-

 

 

一通りお参りしたら、のどが渇いてお茶にしました。

 

ふわふわクリームチーズケーキ美味しかったよペコちゃん

お茶しながらKさんの話や学生時代の話を沢山したのよね〜

 

クリームチーズケーキ

 

Kさんのご主人も楽しそうに聞いてたよ〜

たぶん、知らない話も沢山有っただろうけど、皆で話すのには懐かしいだけではなく、ご主人を励ましたかったのよねニコ

 

「頑張ってください」と言われて頑張れないよね〜

ご主人の知らない学生時代の話など聞くことによって、元気貰えるでしょ?

 

一緒に泣くだけが励ましでは無いよねえへ

 

 

帰宅して、キルターのFさんに「報国寺に行って来たんだよ」と知らせたら、報国寺の住職はFさんのご主人の友人で、彼女が鎌倉でキルト展した時に、袈裟のまま住職がキルトを見に来てくれたと話していたよっマジで

 

世間は広いようで狭いね。

驚いた〜テゴシマーク

 

 

 


約束事 法要

母が亡くなって、1ヶ月もとっくに過ぎてしまった…

葬儀にも出ず、渡米・帰国・その後体調崩し、富山に帰ることが出来ずにいました。
27日になりようやく実家に戻ったのですが、母のいないヒロトンとヒロトンの嫁しかいない家はなんだか広く、寂しく感じます

母の存在は余りにも大きく、実家に戻り改めて実感しました。

母の遺影はにっこり微笑んでいますが、スミトン微笑み返しができません。

確実にスミトンの実家から、ヒロトンの家になったのを感じます…
実家には変わりないけど〜

もちろん、ヒロトンに意地悪されているわけではありません

スミトンは三食昼ね付きで、長女オーラを出しまくっていますから!
それでも感じるのです。

母一人の存在でこんなにも感じ方が違うのか…母の力は偉大です。


東京に住んでいると、初七日だけの法要で、全てが終わることが多いと聞きますが、実家は浄土真宗で、全て約束事に従い、七日ごとにお寺さんが来てお経を上げてくれます。

何故七日ごとにお経を上げるのかと言うと、49日までの間 死者は来世 何処に行くか七日ごとに試験が有るのだそうです。
その試験を無事過ぎるように、現世の私達も行いを正し、お経を上げて応援し、49日には晴れて極楽浄土へと旅立つ事が出来るのだと小さい頃教えられました。

スミトンは六七日・七七日の二回しかお経を上げることが出来ませんでした…

七七日(49日)のお経の後、お墓に行き、納骨をし、母は来世に旅立ちました。


納骨の後、みんなで食事をします。

その時出されるご飯を「みたま(御霊)」といいます。

御霊

味付けした黒豆でおこわを作るほのかに甘いご飯です。
赤飯の黒豆バージョンだと考えてください。

北陸だけに見られる風習です。弔辞に使われます。

本来この食事から生臭いものを食べても良くなりますが、今ではそうではなくなってきています。
豪華なオードブルやお刺身の盛り合わせ等などが並びましたが、写真はありません…

掛け軸1

母が極楽浄土に旅立ち、仏壇に母の法名がおさまり、床の間には、ツレが書いた七福神の掛け軸を
ヒロトンの嫁が掛けてくれました。

掛け軸2

優しい心使いです…感謝です

両親がたいそう喜んでくれた掛け軸です。


仏壇を見ただけでも、富山は仏教国で有るということが、わかるでしょ?

仏壇1

家を継ぐという事は、お墓・仏壇を守るということです…
都会に暮らすと、なかなか出来る事ではありません。

ヒロトンはあてになりません…
ヒロトンの嫁よ、大変だけど宜しくおねがいします

仏壇2



そして、これからも法要は続くのです。

百カ日・一周忌・三回忌・七回忌・13回忌〜

毎月の祥月命日にもお寺さんがきます。

家が近ければ、祥月命日にも来る事が出来るのですが、コレは無理な事、お盆に来て墓参りするのが関の山かな?

母ちゃん元気な時歌っていたよね〜
「お墓の前で泣かないでください〜 そこには私はいません〜」って

母ちゃんは、極楽浄土 来世に旅立ったのだもの、後の事は心配しないで。

皆の心の中にいつも母ちゃんは、いるから!
たまには忘れる事も有るかも知れないけど、スミトンの事だからね


母ちゃん長い間、お世話になりました。

母ちゃんや父ちゃんに教えられたように、残された者たちで仲良く一生懸命、
生きますよ! 楽しみながら!
また会う日まで…
じゃあね〜




娘と二人旅 6

胎蔵寺を後にして、富貴寺に向いました。

富貴寺に行く途中、左手に真木大堂が見えました。
真木大堂も国宝指定されているので、よって行こうか?と寄り道しました。

パンフレットの写真、大威徳明王像の実物は立派で、しげしげと眺め拝みました。
大威徳明王像は六面六臂六足で、牛に乗っていたと思ったのですが、後で調べたら、牛ではなく、神の使いである水牛でした。
スミトンが牛と思ったのは、無知なのもあるけど、善光寺を思い出していたからです(笑)

大威徳明王像だけでなく、阿弥陀如来・四天王立像・不動明王と二童子等の立派な仏像が有るお寺なのに、善光寺のようなお寺お寺した雰囲気ではなく、博物館のような?展示されているような?感じでした

真木大堂、富貴寺


真木大堂を後に、富貴寺へ向います!
富貴寺は 九州最古の木造建築物で、国宝に指定されていると言う事で、今回の予定に入れていました。

山門に入る階段の途中左側に、小柄なお婆ちゃんがちょこんと座っていて、なんだろう?とお婆ちゃんの膝元にを見たら、梅干・干し竹の子・カボス等が有りました。
おばあちゃんは、「お参りの帰りに買ってください」と可愛い声で言いました。

富貴寺1

声を背中に、仁王門に向うと、左右に阿形・吽形の金剛力士像(木彫ではなく、石像でした)
が迎えてくれました。
境内に入ると、富貴寺は総白木造りで、きらびやかではない、素朴で凛としたたたずまい、存在感があります。

阿弥陀堂には、本尊阿弥陀如来坐像と消えかけている壁画(修復されるといいのにな…)歴史を感じます。
境内には銀杏の巨木があり、スミトンは、巨木からパワーをいただきました

富貴寺2


その昔、ここの地に高さ970尺も有る萱の大木が有り、その木から、富貴寺は建てられたと言い伝えがあるそうですが、こんな高い木があったとしたら、凄い事です!! 真実はわかりませんが…

拝観した後、先ほどのおばあちゃんのところで、梅干、干し竹の子、カボスを買いながら、「ハンガリーで最も美しい村」と言われている、ホッローケー(世界文化遺産)に行った時の事を思い出しました

村に入ってすぐ、誰もいない道にお婆さんが一人立っていました。
私たちを見かけると、家の中に急いで入っていきました。

シャイなお婆ちゃんで、観光客に見られるのがいやなのかな? なんて思い、村内観光が終わり、お婆ちゃんの家の前まで戻って来たら、お婆ちゃんが私達に声をかけ、呼び止めます。
手元を見ると、ハンガリー刺繍をした、しおりなどの小物があり、シャイと思ったお婆ちゃんは、観光客相手に自分の作品を売る、商売上手なお婆ちゃんでした(笑)

予約を入れていたおすし屋さんに行く時間になったので、双子寺も予定に入れていたのですが、それはまたの機会にする事にして(次回有るのかな?)、日田に向いました。



娘と二人旅 5

旅館で前日の疲れを取り、国東半島に有る、熊野磨崖仏に向いました。
熊野磨崖仏も若い頃から見たいと願っていた、岩に刻まれた不動明王と、大日如来です。

熊野磨崖仏2

熊野磨崖仏に会うためには、山道を歩かなければなりません。

熊野磨崖仏3

鬼が一夜で作ったという長い伝説の石段を登らなければなりません。

熊野磨崖仏4

昨日の、耶馬渓ですらのびていたのに、それどころではありません
階段階段階段…

昨日、宇佐神宮に行っていて良かったよ〜。大神様がスミトンの体力を心配して、昨日およびになったのかなぁ〜? 感謝です
時間制限のある、観光バスツアーだったら、絶対登る事が出来ません!
ゼイゼイ息をしながら、休み休み登っても、人に追い越されることはなく、観光シーズンでないと言うことは、ラッキーでした。
紅葉は見れなくとも、紅葉シーンは想像できますが、磨崖仏は実物でしか分かりえない感動が有りました!

熊野磨崖仏5

岩壁に掘られた8メートルの不動明王、6,8メートルの大日如二体、平安時代(紫式部の源氏物語の時代)に作られた石仏、雨風にさらされながら、時代を見つめてきた石仏…
凄いです!!としか表現できません。

熊野磨崖仏6

石屋の娘のスミトン、父と来たかったです〜。もちろんツレとも!
父もツレもスミトンたちと一緒に見ていたのかも知れませんが…

熊野磨崖仏7


磨崖仏の有る場所から、まだ階段が続き鳥居が見えましたが、スミトンは行きませんでした。
階段を登ると、下山できないのではないかと思うくらい、膝が悲鳴をあげています。
「母ちゃんここで待っているから、あなた登っておいで」と言うと、娘は階段をトントンはねるように登ります。
「古びた神社が有ったよ〜」と、階段を下りながら話す娘…。熊野神社(奥の院)が有ったのです。
本当は熊野神社まで参拝して初めて、熊野磨崖仏をみた事が完結するのだと思いますが…
スミトンは娘が撮ってきてくれた写真で、見てきたことにしましたっ

下山途中、5〜6人の観光客とすれ違いました。
其の人達より遅れて、スミトンと同じ年齢ぐらいの男の人が、ハアハア〜言いながら登ってきます。
すれ違った時、「奥さん、僕、上まで登れるかな? 止めた方がいいかな?」と聞かれました。
仲間から離され、迷惑になると思ったのでしょう…
スミトン、自分の事のように思え、「ここまで来たのだから、休み休み行けば、もう少し行ったら見れますよ〜」と励ましました。
本当は、まだまだ登らなければならないけど、側まで来て見れないのは残念だろうし…悔いが残るハズ。見て感激して欲しいし、そしたら、疲れもふっとんじゃうでしょ! とスミトンは考えたのよ〜

熊野磨崖仏8


登ってきた道の途中から、わき道にそれるように案内が出ていました。
誘導される道なりに下山すると、胎蔵寺にでました。
七福神に梵字が書かれた金銀のシールがビッシリ張られています。
一瞬コリャなんだ?と思わずにはいられません(笑)
願い事をかなえてくれるシールと分かり、買うため社務所のようなお店?に入り、「シールをください」と言ったら、お店番していた方が住職でした。
私と娘に「貼って願いをかなえてください」と、銀のシールを渡してくれました。

シールを貼っていたら、住職が、スミトンの鞄についている根付を見て、「可愛いね! 猪年?」と聞くのでスミトンは「はい、ボケ封じの柿です。善光寺さんで買いました」と答えました。

後で、娘に「母ちゃん、住職は柿ではなく、ブタを見て猪年と聞いたのに、何で柿の説明するの? そして、善光寺で買ったのではないよ? 長野にあったお寺だけど、私が買ってきてあげたお土産でしょ?」と。
スミトン、磨崖仏見るのに足だけでなく、頭も疲れたのか、頓珍漢な答えをしてしまっていたようです
そう、柿の隣に黒ブタもぶら下げていたのです。

「考えれば分かるでしょ〜? 柿見て猪年を当てたら凄い事だよ!」 娘に注意された…。トホホです〜

娘と話しながら、仏像を見ていたら、住職がスミトンの手と娘の手に、お守りをつけてくれ、お堂に連れて行ってくれました。
そこには、丹精な木彫の龍神菩薩様が居られました。

震災復興支援のために、今回初公開されることになったのだとか。開帳は今年限りで、12年後の辰年には開帳する予定はないとの事!! なんてスミトンと娘はラッキーなんでしょう…


今まで龍神菩薩様は、背面からしか拝見する事は出来ない秘仏だったけれど、今年初めてお顔を拝見できるのだと、住職は龍神菩薩のいわれをスミトンと娘に説明してくださり、お経を上げてくださいました。

約550年前に彫られた仏像とは思えないくらい、綺麗でとてもりりしいお顔立ちでした。
普段お顔を見ることが出来ない龍神菩薩を正面から見ることが出来、なんて幸せな事でしょうか…

菩薩様は「龍神菩薩立像」というのが正式なお名前だそうです。

皆さん、時間が有りましたら、今年を逃すと二度と見れない仏像!! 龍神菩薩立像を拝見しに胎蔵寺に行ってください。
そして、磨崖仏不動明王・大日如来に会ってください。

住職は、とても早口でお話される方ですが、国東のきみまろといわれているらしく、親近感の持てるお方でした。

帰宅してから、胎蔵寺の事を調べました。
1300年前に、宇佐神宮が建てたお寺だと知り、大神様のお導きだったのかな?と思いました。

胎蔵寺の写真は、住職に圧倒されてか? 撮っていませんでした…
ご興味のある方、ホームページで是非確認してみてください!!

胎蔵寺HP:http://taizouji.info/



娘と二人旅 3 

明日から(もう今日ですね)、キルトウイーク横浜2012が始まります。
スミトンは、10日の午前中に「ロックミシンを使ったキルト作り」のワークショップがあるだけで、2泊3日で、横浜住まいになり、会場内、周辺をブラブラとキルト三昧予定です!
会場で見かけたら声をかけてくださいね〜
※スミトン、人の顔と名前を認識できない優れた才能があるので、気づいていなさそうだったら、「○○です!」と言ってもらえると助かります


さて、娘と二人旅の続きです。
1995年10月、IQ2000の仕事で宇佐神宮の大鳥居の横を、通り過ぎたことが有ります。
其の時は、友人の亜侑さん・尚子さん・ジュデーマティスンさん(マリナーズコンパスの著者)と一緒でした。
何故通り過ぎたかと言うと、次の日、ジュデーマティスンのワークショップの準備をしなければならない事、当時私達は、宇佐神宮が全国の八幡様の総本山だとは知らず、興味も無かったからです(大神様ゴメンナサイ)。

今思えば、ジュデーマティスンに宇佐神宮をお参りさせてあげたら、喜んだ?事でしょうに、もったいない事をしたもんだ…

今回、参拝したのは、亜侑さんが(運気アップのための開運ガイド)神社の事を学び、凄い神社で有ることをスミトンに教えてくれたので、是非行きたくなったのです!! ミーハーなスミトンです…

せっかく宇佐神宮に行くのですから、自分の分だけでなく、亜侑さんの分もおまいりしてこようと思いました! 何時もお世話になっているのだもの、大神様にお参りする事で、少しはお返しが出来れば良いでしょう? 本当は、こんな邪念を抱いて、参拝してはいけないのだと思いますが…

宇佐神宮2

しかし、ここでもスミトンの考えが甘かった…
宇佐神宮は、明治神宮のように平たんなところに有ると考えていたら、小高い山の上にありました。
羅漢寺に登り、限界を超えたボロボロの膝は、歩くたびに痛みがはしりますが、境内は金木犀のほのかな香りがして癒されます。(木は見当たらないのですが〜)

帰ってきてから、亜侑さんにこの話をしたら、神様のいらっしゃる時は、なんともいえぬ香りがするのだそうです(信じるか信じないかは、その人次第です
沢山の木々が天に向って生い茂っています。
大分県を代表する、スピリチュアルスポット・パワースポットです。

宇佐神宮

やっとの思いで、本殿のそばに着き、2拝4拍手1拝と大きく拍手を打って、「大神様、文京区……の亜侑さんが、よろしくと言っていました…彼女は元気にしていますよ…」と心の中で、彼女の報告をしてから(亜侑さんに教えてもらった、大神様に報告する時のマナーだそうです)、スミトンは自分の事も大神様に報告&お願いを少ししましたっ
自分の事を先にすると、最近とみに忘れっぽくなったので、亜侑さんの事を報告し忘れるからね(笑)

宇佐神宮があるお山が『亀山』と言う事を知り、スミトンは不思議な縁を感じました。
スミトンの旧姓は、亀山なんだもの!! 縁を感じて当然でしょう

社務所で延命長寿・身体健康の亀守りを、スミトンと母にと、二つ買いました。

カメのお守り

これからスミトンが通ると、チリンチリンと音がしますよ。
金の亀連れていますから
でも、スミトンの前で、拍手打たないでくださいね!!
スミトン、ご利益あげられませんから…

仲見世にある、「文福」で遅いお昼をすませ、旅館に向いました。



金環日食の日に 3

学生時代、ホームシックになると、友達はトイレで泣いたらしいのですが、「トイレの花子さん」のようなトイレの中では、スミトン1度も泣いた事はありません。
もちろんスミトンだって、人並みにホームシックになったり、一人になりたい時などには、行っていたところがあります。
それは、寮から15分ぐらいのところにある、池上本門寺です。

池上本門寺


健康なら、寮からなんでもない距離なのに、今回ばかりは、先が長くつかないのではと不安に成りました。

気を使ってくれる友の顔を見ると、頑張って歩くしか無いなあ〜と、深呼吸…。でも、息できない…。
それでも、歩けば何とか本門寺の裏口に着き、登っていくと、そこには、佐伯矩先生の記念碑が建立されていました。

私達が入学した時には、矩先生がお亡くなりになっていたので、先生から学ぶ事は有りませんでしたが、先生のお嬢さん、芳子先生から学びました。
芳子先生は、ドレスデンのカップなどを私たちに持たせ、「このようなカップで紅茶を飲む人になりなさい。良いものは何時の時代も良い」と教えてくれました。
戦後、20年足らずの時代に、田舎者のスミトンは、九谷焼・有田焼は知っていても、ドレスデンとは?????って状態でした。
なんだか沢山芳子先生は、色々教えてくださったはずなのに、ドレスデンのカップしか思い出せません
スミトンは、芳子先生が教えてくださった、ドレスデンのカップでお茶を飲むような生活は出来ていません、劣等性です…でもドレスデンのキルトは作りました(笑)

矩先生は、医学博士で栄養学の創始者、栄養学の父です。
私たちの栄養学校を作り、卒業生に初めて栄養士と名づけたのです。
私たちの学校を出たものだけが、栄養士と名乗れたのです。
そんな、凄い学校を出ているのに、スミトンは自分の栄養管理できません

矩先生の石碑の掃除に、学校から事務の先生方が、毎日当番で来ているそうで、私達が行った時、当番の方が綺麗に石碑を拭いていました。

記念碑


記念碑の前に立ち、友人達は、掃除当番の方と矩先生の業績や学生時代の話をしていますが、スミトンみんなの輪に入れません。
呼吸整えるのに精一杯です(私一人、皆と違う事学んだのかも?)

矩先生とお別れして、力道山のお墓に行きました。

力道山の墓

スミトンが、池上本門寺によく来ていたのは、力道山のお墓なのです。
テレビで、力道山のプロレス中継が終わった後、父・母・弟・私家族で、プロレスごっこをして遊んで育ったのです(スミトン小学生の頃です)
スミトンには、力道山は、一家団欒を思い出す人なのです。

それと、父の仕事が石材業なので、池上本門寺には石屋さんが沢山仕事をしていたのです。
仕事をしている人達に両親を重ねていたのかも知れません。

力道山のお墓のすぐ近くに大野伴睦のお墓があったはずなのに、見当たりません。
見つけられないはずないのです。だって、大きな石造のトラが入り口にいるのですから…

若い人に大野伴睦と言っても分からないでしょうね? 政治家で、「サルは木から落ちても猿だけど、政治家は、落ちたらただの人」と名言を残しています(スミトンは、父から聞きました)
今の政治家は、落選しなくてもただの人が多いのでは?
こんな事書くと、又娘に叱られる(笑)

大野伴睦のお墓、見当たらないはずです。
スミトンの通った45年前は、お墓も今ほど多くなく、見晴らしが良かったから、力道山の斜め後ろの方に見えたのですが、今はその間に沢山のお墓が出来て、お墓銀座! チョー密集地帯になっていました。

それでもまだ、石屋さんが仕事をしているのですから、恐るべし池上本門寺!

力道山のお墓の次に、スミトンは、五重塔を見上げに行くのです。
五重塔を見上げると、先人達の偉大さに圧倒されます。

五重塔


五重塔は変わっていませんでしたが、周りの雰囲気…厳かな感じがなくなったような気がします。
先輩から、幸田露伴が五重塔を書いたときのヒントになった塔だよと聞かされていました。

塔の側には露伴のお墓もあります(今では、お嬢さんの文さんのお墓もあります)

小坊主

次に行くのが、一休さんの所(スミトンが勝手にそう読んでいるだけです)
箒を持った小坊主、真新しく可愛いかったのですが、今は、汚く足にひびが入っていました。
あの頃は、石造だと思っていたのに、どうも、コンクリート?で出来ているみたいでした…

父が小さい頃、話してくれたのですが、箒を持っている小坊主は、和尚さんがお経などを教えても、覚えない珍念がモデルで、身体で覚えるために箒を持たせ、修行させたのだとか…本当か分かりません。父は自分で沢山話を作って、スミトンに聞かせたから(笑)

境内を箒で掃き清める、参拝者を気分良く迎える小坊主さん、何事も修行なのです。

ホームシックぐらいで、めそめそしている自分がちっぽけになり、頑張ろうと思い、池上本門寺で2時間ほど時間を過ごしてから、寮に戻っていました。

45年ぶりに会った仲間たちは、皆栄養管理をしっかりしていました。
薬もビタミン剤も飲んでいないとの事…
「スミトン、スマートだったのに何しているの?」「スミトンは、病院にも勤め、優秀だったのに、自分の管理できなくて、どうしたのよ?」
返す言葉もありません。
スミトンは、人の世話は出来ても、自分は食べたいもの食べて、コロッと死のうと考えていましたが、今年のように、原因不明の呼吸困難になると、コロッと死ぬなんてできない事を思い知りました。

今月に入ってから、38度の熱で一週間寝込みました。
普段35.5分も無いスミトンは、苦しみ、いよいよ健康管理をしなければならないなと痛感しました。
熱で、4キロ痩せたのをチャンスに、まずは、基礎体重に持っていくのが、今年の目標にしようと思いますが、何十キロも落とさなくてはならないので、それは無理です。
トホホです
とりあえず、年末まで、後5キロ落としましょうかね
無理かな〜



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